2009年6月、厚労省文書偽造事件で逮捕
事件発覚当時は、大変な注目を集めたこの公文書偽造による郵政不正事件。障害者団体向けの郵便料金割引制度を悪用した事件で、被疑者は当時女性官僚の中でも異例の出世頭であった村木厚子元厚生労働省雇用均等・児童家庭局長(現在起訴休職中)でした。
障害者自立支援のために作られた制度を悪用した犯罪に国の人間が関わっているとして、発覚当時、多くのメディアが彼女を槍玉に挙げました。
一方、舛添要一厚生労働大臣は、事件に際しても、彼女の有能ぶりを評価するコメントを発表。彼女をよく知る人物からも、彼女の冤罪を主張する人たちが多く集まり、彼女を支援する動きも出ていました。
村木被告の公判が始まる
報道の熱も冷めた今年1月27日、村木被告の第1回目の公判が始まりました。容疑は、民主党の石井一議員の口利きを受けた塩田幸雄元障害保険福祉部長の指示で、部下である上村勉被告に問題となった偽造文書作成を指示したとされることです。
実際に事件は、上村勉被告の証言から発覚しています。偽造文書を使用し、今回の郵政不正を働いたとされる組織、凛の会。その代表である倉沢邦夫被告は、かつて石井一議員の秘書も務めたことのある人物であり、公判中、それぞれの接点と事件の経由が明らかになるはずでした。
ところが、公判は一転、思わぬ方向へ進んでいます。公判を重ねるごとに、村木被告の冤罪を証言する声は高まり、すべては虚構だったのではと思わせる検察の失態が浮き彫りになってきました。
無罪を主張する村木被告の会見
会見で村木被告は、誰かから指示を受けたり、誰かに指示をしたことはないと述べました。また、事件には一切関わっていないと、改めて自分の容疑を否定するコメントを残しています。
一転証言を取り下げる上村勉被告
今回の村木被告の起訴の発端となった上村被告も、村木被告の逮捕から一転、自分の供述を取り下げる発言をし始めました。
事件発覚当初こそ村木被告の指示を受けたと話していた彼は、独断でやったと言っても信じてもらえなかったため、拘置所から早く出たい一心で指示があったことを認めたと話し、公判中も「指示はなかった。冤罪ではないか」と証言しました。
また、今回の事件の経由を、凛の会の倉沢邦夫被告が自分の職場に初めて現れたとき、石井一議員の名前を出したことから、議員案件はすぐに手続きすべきと判断したと説明しています。
倉沢邦夫被告の不審な証言
凛の会の倉沢被告も、村木被告の関与に関する証言を取り下げています。加えて、自身の取り調べの際に、本当のことを言っても認めてもらえず、最後には疲れ果てて脚色された調書に署名したとも話しています。
石井一議員の関係者を名乗ったのは事実ではあるものの、名刺を出したり、議員案件であることを強調したりすることはなかったと言います。また、村木被告とも実際はそれほど遣り取りもなかったようです。
一方で、問題となった文書を村木被告から受け取った時の情景を詳細に述べながら、その日付やアポイントメントはあったのかなどの点については非常に曖昧な証言を繰り返しています。
検察官と公判について打ち合わせを4回したと述べる際も、「悪いことだと思ったので」と、最初の質問には「していない」と発言するなど、証言にはどこか信頼性に欠けるところがあります。
追い打ちをかける村木被告の上司の発言
今回の偽造文書の元々の指示者であるとされる塩田元部長も証言台に立ち、石井議員からの電話依頼も、倉沢容疑者からの挨拶も、村木被告への指示も身に覚えがないと改めて証言しました。
事件発覚当時、村木被告の容疑を証明するような発言をしたのは、検察側から石井議員との通話記録が残っていると言われたためだと述べています。
身に覚えはないものの、記録が残っているのであれば、当時の厚労省の間でそう手筈が整っていたのだろうと判断したのです。
しかし、この通話記録は、嘘であったことが明らかになっています。それを知った彼は自分の供述が間違っていたこと、そしてその影響が大きいことを思い知り、村木被告のために、証言台に立つことを決めたそうです。
厚労省文書偽造事件公判はまだまだ大阪地裁で公判が続きます。その動きに注目が集まっています。
村上厚子さんを応援する会